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フビライ(1215-1294)
モンゴル帝国の大ハーンにして元の皇帝。漢字で書くと忽必烈。
チンギス=ハーンの四男トゥルイの子。
とても偉い人。
……にも関わらず青年時までの事績はほとんど知られておらず、歴史の表舞台に登場したのは長兄モンケの即位後である。
それまでのフビライは、オゴタイ家のグユク・クチュ・シレムンらと違い大ハーンの地位からは遠く、また従兄弟のバトゥ・叔父チャガタイ・兄モンケらのように、モンゴル帝国の運営に深く関わる立場にも無かった。
しかし、モンケが即位すると華北の統治・南宋周辺の攻略を担う重職に就き、またモンケの子らは皆若年であったことからフビライにもハーン位を勝ち取る可能性が出てくる。
中華風の統治を行うフビライとモンケの間には確執が生まれるが、モンケが南宋遠征の途上で病没したため軍事衝突は避けられた。
モンケ没後に末弟アリクブカとハーン位を争い、1271年に国号を中華風の大元に改めた。
その後いろいろあって78〜9歳で死去、当時のモンゴル人の中では飛びぬけて長命であった。