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歴ゲー

・チンギス4
国家:スウェーデン王国(10世紀末-)
現在のスウェーデン
12世紀半ばからスヴェンケル家・エリク家の両家によるスウェーデン王位の争奪が始まった。
また、各地の豪族・教会は王権に服しておらず、12世紀末のスウェーデンは国家の体を成していなかった。
13世紀半ばに王の娘婿・ビルイェルがヤール職(国王代理に相当する)に就いた頃からスウェーデンの体制が整い、
ビルイェルの指導下でストックホルムをはじめとする城砦の建設・北方十字軍によるフィンランド南部の併合が行われた。
1250年にビルイェルの長子ヴァルデマールが父の後見の元でフォルクング朝を開き、ビルイェルの次子マグヌス=ラーデュロースの代に
中央集権化が進められた。
これでスウェーデンも西欧の強国の仲間入りを果たしたかと思われたが、フォルクング朝では王位を巡る争いが絶えず、
骨肉の争いの末、1319年にフォルクング家の血を引くノルウェー王エーリク7世がスウェーデン王位に迎えられる。
しかし、王族間の争いは止んだものの貴族の伸張は止まらず、エーリク7世の子マグヌスはスウェーデンを追われ、代わりにドイツ人のアルブレヒトが王位に据えられた。
アルブレヒトがドイツ色の強い政治を敷くと、アルブレヒトに従うことを良しとしない貴族が内乱を起こし、スウェーデンは二分された状態になった。
こうした中で1386年以降、反アルブレヒト派の貴族はデンマークの女王マルグレーテに援助を求め、アルブレヒトは放逐されるが、貴族達よりもマルグレーテの方が一枚上手であった。
マルグレーテの甥エーリクがスウェーデン王位に就き、1397年にカルマル同盟が成立、16世紀までスウェーデンデンマーク支配下に置かれた。
なぜかチンギス4にはスウェーデンに関係する固定都市が登場しない。
存在意義が怪しいムーイラーナよりも、ウプサラやストックホルムを……。