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歴ゲー

・チンギス4
国家:ルーム=セルジューク朝(1077-1308)
セルジューク朝の地方政権の一つ。アナトリア地方を支配した。
領地のアナトリアは、元は東ローマ帝国の領地であったために「ローマ」を意味する「ルーム」の名を冠した。
本来アナトリア地方にはギリシア正教徒が多く住んでいたが、ルーム=セルジューク朝の進出によってトルコ・イスラム化が進んだ。
1156年にクルチ=アルスラン2世が即位したときに、王朝は危機を迎える。
同時期にアナトリアの覇を競っていた、宿敵のダニシュメンド朝がザンギー朝・ビザンツ帝国と結び、国内では王弟シャーヒン=シャーがスルタン位を要求して反乱を起こしていたのである。
しかし、シャーヒン=シャーは直ちに国を追われ、ザンギー朝は英主ヌールッディーンが没した後の混乱を収拾するためにアナトリアから手を引いた。
クルチ=アルスラン2世は1176年のミリオケファロンの戦いで皇帝マヌエル1世率いるビザンツ軍に勝利を収め、1178年にダニシュメンド朝を併合し、
アナトリアでの覇権を確たるものとした。
13世紀、カイ=クバード1世の治世にルーム=セルジューク朝は黄金期を迎えるが、続くカイホスロー2世の代にモンゴル帝国とのキョセ=ダグの戦いに
大敗し、ルーム=セルジューク朝モンゴル帝国の臣従国に成り下がる。
スルタンの権威も有名無実のものとなり、1308年に最後の王族であるマスウード2世が暗殺されると王朝は断絶した。
王朝断絶後のアナトリアには、かつての領主達が独立して建てた君侯国が乱立し、イル=ハン国ビザンツ帝国の介入を受けながらも、
その中からかつてのルーム=セルジューク朝の有力者(ウジ=ベイ)・オスマン=ベイが建国したオスマン帝国が頭角を現した。
ジンギスカン』・『元朝秘史』にセルジューク連邦・セルジューク朝として登場しているが、チンギス4では国のほうはリストラされてしまった。
スルタンのカイ=クバードは登場こそしているものの宿敵のニケーア帝国の配下に落ちぶれており、能力も少し物足りない。