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大友義鎮(1530-1587)
九州のキリシタン大名。号は宗麟、洗礼名はドン・フランシスコ。
二階崩れの変の後に家督を継ぎ、北九州一帯に勢力を拡大した。
しかし、1578年の耳川の合戦で島津家に大敗を喫すると勢力は衰えを見せ始め、1580年代には島津家の北進によって本拠地の豊後にまで迫られる。
豊臣家の介入によって島津家は降伏、大友家は豊後一国を安堵され、豊後の立て直しを行った後に死去した。
彼には家臣の妻を奪う・酒色に耽るといった一面があり、こうした横暴な性格が一部の家臣の離反を引き起こし、ひいては大友家の没落の一因ともなった。
まったくもってどうでもいい(?)話だが、土佐の国司一条兼定は彼の娘婿の一人である。