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山名祐豊(1511-1580)
但馬守護。
生野銀山の開発で知られる。
叔父・誠豊の養子となり、誠豊没後に但馬守護職に就いた。
因幡守護・誠通を討って弟の豊定を因幡守護とし、分裂した山名家の安定に努めた。
後に織田信長に領地を追われ、一時は臣従を誓うも再び反旗を翻す。
1580年、羽柴秀吉が居城の出石城を包囲、包囲中に祐豊は没した。
信長の野望 天翔記』では、数に任せた戦術が執れる。(山名家所属の武将は揃って初期の動員兵数が多いので)
しかし、武将の質は……。