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歴ゲー

・チンギス4
国家:プシェミスル朝ボヘミア王国(1212-1306)
現在のチェコを支配した王国。
神聖ローマ帝国の成員の一。
1198年、オタカル1世の代にボヘミア公は王号を獲得、1212年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に王位の世襲・司教の叙任権を認められ、選帝侯とされた。
オタカル1世の孫・オタカル2世(チンギス4のオタカル)の治世に王国の領土は拡大、バーベンベルク家が断絶した後のオーストリア
ダルマチア・北イタリアの一部を獲得し、さらにシレジアの一部を領有したことでポーランドにも影響力を持つようになる。
大空位時代にはオタカル2世が神聖ローマ皇帝候補として推挙されるが、強力な皇帝の出現を良しとしないローマ教皇と他の選帝侯
当時一介の弱小貴族であったハプスブルク家のルドルフ1世を皇帝に選出した。
当然オタカル2世はこの決定に不満を持ち、武力をもって帝位を奪おうとするも敗退を重ね、ついには1278年のマルヒフェルトの戦いで敗死してしまう。
オタカル2世の子・ヴァーツラフ2世が幼少で即位すると、ルドルフ1世はこれを好機とボヘミア王国の所領を削減し、かつての勢いは消えてしまった。
が、1290年にヴァーツラフ2世が親政を執るとボヘミアの国力は回復に向かう。
鉱山の採掘・貨幣の統一でボヘミアの商業は発展し、外交交渉によってポーランドハンガリーの王位を手中に収める。
しかし、ボヘミアの急激な発展は神聖ローマ皇帝教皇庁の警戒を招き、ポーランドハンガリー両国の貴族・教会にはボヘミアの統治を不服とするものが多かった。
生来病弱であったヴァーツラフ2世はこの危機的な状況を前にして病に倒れ、1305年にヴァーツラフ3世が跡を継いだ。
ヴァーツラフ3世はハンガリー王位を諦め、残ったポーランドの保持に務めようとするも、即位の翌年に暗殺された。
彼の死によってプシェミスル家は断絶、ボヘミア王位はハプスブルク家・ゲルツ家を経てルクセンブルク家の手に渡った。
チンギス4にはオタカル2世・ヴァーツラフ2世の両名が登場するが、何故だかどちらも能力が低く設定されている。
ヴァーツラフに至っては見る影も無い……。