歴ゲ−
・チンギス4
国家:イル=ドュグュズ朝(1160年代-1220年代)
現在のアゼルバイジャン付近を支配した政権。本拠はタブリーズ。
建国者のイル=ドュグュズは元はセルジューク朝のマムルークであった。
彼はスルタン・サンジャル没後の混乱期にスルタン・トゥグリル2世の遺児アルスラン=シャーを擁立、アルスラン=シャーが
イラク=セルジューク朝のスルタンに即位するとアタベクの称号が彼に贈られた。
イル=ドュグュズ及びその一族は自らの領地であるアゼルバイジャンでイラク=セルジューク朝の国政を動かし、名目上こそスルタンの臣下であったが権力はスルタンを上回っていた。
しかし、アルスラン=シャーの息子であるトゥグリル3世はイル=ドュグュズ家の専横を脱することを試み、セルジューク朝の部将にもイル=ドュグュズ家を憎むものが少なからずいた。
イル=ドュグュズの孫・クトルグ=イナンチの代にホラズム=シャー朝と同盟を結び、1194年にはホラズム朝と結託して主君であるイラク=セルジューク朝を滅ぼした。
これで恐れるべきものが無くなった……と思いきや、1219年からモンゴル帝国がホラズム遠征事業を開始、同盟者のホラズム朝は壊滅し、
アゼルバイジャンもジェベ・スブタイ率いる遠征軍の攻撃の的となった。
モンゴルに抵抗した他の街が徹底した破壊・掠奪に晒されたことを知るクトルグ=イナンチは無欠開城を決意、かくしてアゼルバイジャンはモンゴルの支配下に置かれた。
モンゴル支配下のタブリーズは東西交易の拠点として発展、商業のみならず芸術もアラブとは異なる発達を遂げ、
イル=ハン国の治世には中国から流入した技術が用いられた細密画が多く制作された。
にも関わらず、チンギス4のタブリーズは芸術文化があまり高くない。