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歴ゲー

・チンギス4
国家:第二次ブルガリア帝国(1187-1396)
現在のブルガリアを中心とした、ブルガリア人の国家。
1018年にブルガリアビザンツ帝国に併合され、ブルガリアの領民には重税が課せられていた。
1185年にタルノヴォのアセン・ペータル兄弟がビザンツに対して反乱を起こし、その余波はブルガリア全土に広がった。
ブルガリア軍はビザンツの討伐隊をことごとく撃破、1187年に晴れて独立が認められ、反乱の指導者の一人アセンが帝位に就いた。
1196年から97年にかけてアセン・ペータルが内訌とビザンツの策略によって殺害され、帝国は分裂の危機に陥りかけるが、
アセン兄弟没後に若年で即位したカロヤン帝の軍事・外交手腕によってブルガリアはより強大化し、ビザンツ帝国滅亡後にバルカン半島に成立した
フランク人の国家と互角以上に対抗できる地力を身につけていた。
カロヤンの二代後のアセン2世の代にブルガリアは最盛期を迎えるが、アセン2世の死後にモンゴル帝国の蹂躙を受けて弱体化、
12世紀後半にはジュチ家の有力者・ノガイの属僚とされた。
その後アセン家に代わり、クマン族の血を引くテルテル家・対セルビア戦で活躍したミハイルのシシュマン家の人間が帝位に就くも、
イヴァン=アレクサンダル没後にオスマン帝国に領地を侵食され、1396年にオスマン帝国のバヤジット雷帝によってブルガリアは完全に併合された。
ブルガリア自治権を取り戻すのは1878年にサン=ステファノ条約が締結されてからであるが、オスマン帝国ブルガリア支配はさほど重圧的なものではなかった。
自治権を認められたブルガリア人集落は少なからずあり、税の負担減・特権目当てに自発的にイスラムに改宗した者もいたのである。
蒼き狼』シリーズに登場するブルガリア関係者は、『元朝秘史』のイヴァイロ・チンギス4のイヴァン=アセン(2世)の二名……だったかな。
一介の貧農から皇帝に成り上がった猛者・イヴァイロがチンギス4でリストラされてしまったのは至極残念。