このblog・日記はGSCblog・日記リンクに登録しています。


・当ブログで掲示されているアイコンは、無償配布のSRCシナリオに限り、許可・報告無しで転載しちゃったりしてもかまいません。
・転載の際には、フリーのツールを使用して、ファイルをjpg(乃至はpng)からbmpに変換することを推奨します。
・また、無用の揉め事に巻き込まれるのはヤなので、アイコンの転載元(つまりはここですね)は必ず明記してください。






歴史

コムネノス朝ビザンツ皇帝マヌエル1世は官僚や傭兵にラテン人を好んで用いていたが、
彼の好みの女性のタイプもラテン系であった。
最初の皇后は神聖ローマ帝国皇帝コンラート3世の娘イレネ、次に迎えた皇后は
アンティオキア公コンスタンスの娘マリーであった。
さらに、息子アレクシオスの皇后にはフランス国王ルイ7世の娘アニス(アンナ)を迎えている。
アンドロニコス1世はアレクシオスを殺害した後にアニスを強引に皇后とするが、
当時12歳であったアニスは亡き夫を想ってベッドで泣き崩れる日々を過ごしていた。
ちなみに、アンドロニコス1世がアレクシオスを殺害した当時の年齢は62歳、
両者の年齢の差はおよそ50である。
こんなアンドロニコス帝が大好きだ。