歴史
コムネノス朝ビザンツ皇帝マヌエル1世は息子にアレクシオスと名づけているが、
当時のビザンツには長男には祖父の名前をつける慣習があり、
本来ならアレクシオス2世はマヌエルの父であるヨハネスの名が与えられるはずであった。
占星術に凝っていたマヌエルは「コムネノスの帝位はどこまで続くのか」という問いに対して
「"AIMA"」という託宣が返ってきたため、最初のAはコムネノス朝の創始者のアレクシオス・Iはマヌエルの父である
ヨハネス(Ioannes)と解釈し、マヌエルの頭文字であるMに続くAをとってアレクシオスと名付けた。
後にアンドロニコス1世がアレクシオスを殺害して即位したことで託宣は現実のものとなった。
さらに言うと、コムネノス朝はアンドロニコス1世の代で滅亡しており、最後のAに
続く皇帝が出なかったことも託宣の通りである。(もっとも、アンドロニコスの孫の一人は
トレビゾント帝国を建国しており、コムネノスの血統は15世紀まで続いているが)
占いを非科学的だといって馬鹿にしてはいけない好例の一つである。